オレ、南投へ旅行する『霧社事件』
こんにちは、もう冬休み終わりますね。
今日で最後です。悲しい…
結局25日あるうちの、4日間しか家にいませんでしたね笑
今日は、台湾のど真ん中、南投という場所に行ってきた話をしようと思います。
留学行く前から、留学中に絶対に行く場所として決めていました。
南投に行くっていうよりも、南投にある、ある場所に行きたいという感じですね
それは、霧社事件のあった霧社という場所と、霧社事件を起こした賽德克族のリーダー莫那魯道のお墓です。
なぜ留学中に行くのかというと、目的地は山奥にあるので、新幹線、鉄道、バスなのではたどり着けないのです。
それなりの語学力などが必要なので、今まで行けなかったというのが正しいです。
今回は新幹線で台中まで行き、そこからレンタカーで南投まで行きました。
左ハンドルと日本と反対の道路には最初の20分くらい慣れなかったですね笑
今は結構慣れました。台北以外なら運転出来そうです。
台北は道路が複雑そうだ…
二泊三日の南投旅行
1日目、お昼前に出発。南投に着いたのが午後5時あたり。ご飯食べにいって、南投の埔里鎮の市内をぶらぶらして帰りました。
2日目、今日が本番。朝早めに起きて、山奥へ出発!せっかく山に行くので、清境牧場という、羊がいっぱいいる牧場にも行きました。
山奥で、急斜面をひた走る羊が本来の姿なのだと感じました。笑
羊はドリトスが大好きなようで、持ってたドリトス奪われて全て無くなりました。
ドリトスが草原に散らばると羊が一斉に集まってきました。遅れてきた1匹が元々いた羊にタックルし、元々いた方が倒れてしまいました。
『メェェェェェーー!』
と怒っていました。笑
たくさんの羊に癒されたところで、本題である莫那魯道のお墓へ向かいました。
そこは馬赫坡古戦場という名前になっていて、本当に山奥にあります
山道も一本の細い道しかなく、対面から車来たらどうするの?という感じ
目的地に着くと、セディク族の住居が今もなお保存されている。
本物の住居
そこから500メートルくらい離れた場所に莫那魯道の本物のお墓があります。
本物のお墓と言ったのは、実は霧社の中心部に国民党が建設した霧社事件記念公園があり、そこにも莫那魯道の墓があります。それは実は偽物。本物は、死体が山奥で発見されてから、一旦は博物館展示されましたが、今はセディク族、最後の戦場である馬赫坡の地に戻され、ここにあります。
感想を率直に述べると、日本人として、ここに来れてよかったという感じですね。
霧社事件なんて、知りませんでした。
セディク族なんて知りませんでした。
セディクバレという映画に出会った、そして、台湾原住民に興味を持って、大学の原住民の授業を履修した。
部落教学として、履修してるみんなで花蓮にも行った。
そしてついに、、、うるうる
台湾が好きだと言って、ここへ留学して
でも、霧社事件には目を瞑る
それは良くないですね
日本人として、彼のお墓に参拝出来たのは、なんて言ったらいいか分かりませんが、非常に意味のあることだと思います
そして、この時期に南投へ行ったのには、もう1つの理由があります。
それは、台湾の山桜を見ること。
3月下旬から4月
台湾から日本へ行く飛行機のチケットはものすごく高いです。
みな、日本の桜を見たいとうことでこの時期はチケットがものすごく高いです。
台湾にはもともと、山桜と言って、日本のピンク色とは違う、赤っぽい色の桜があります。
梅の花に近い感じです。
霧社事件を描いた映画、セディク バレには、その山桜も重要なシーンで登場していました。
とても綺麗だったので、南投で本物の山桜を見て見たかったんですね。
ことし、台湾の冬は暖かかったので、台北などの市内ではほとんど咲いていないです。
山奥はきっちり寒くなったようで、山桜が咲き誇っていました!
とても綺麗でした。、。、
3日目は九族文化村という南投にある、原住民遊園地へ行きました。
原住民遊園地と言っても、ディズニーランドのように、いくつかテーマごとに区分されていて、その中に原住民の村が再現されている場所にがあるという感じです。
原住民村のお店の店員は、原住民の方で、話を聞くと魯凱族だそうです。
たくさん原住民の話しを聞けました。書ききれないので割愛
いつか書き出せたらいいですね!
もう留学も半分以上終わっています。
いろいろ焦る笑
でも、今のところ、完全に遠藤らしい留学になっています。
これを崩さないよう、でも、勉強にも手を抜かないよう、これからも頑張って行きます。
では、冬休み最後の1日目、満喫します